日本人はなぜ商品の品質に厳しいのか

選択の多様性と規範のなさ

商品選択基準が厳しいのに、ブランドが好きで、流行にも乗りやすい。日本の消費者の行動は、矛盾しているようにも思えますが。

日本の消費者は製品の品質に細かいところまでこだわるタフさ(厳しさ)とブランド品にすぐ飛びつくようなイージーさの両面を持っています。

確かに一見矛盾しています。しかし、矛盾したように見える消費者特性も整理して考えると3つぐらいの要因から出てきていると思います(表1)。

表1日本の消費者のタフさの構造

まず、選択肢が多くないと満足しないという消費者の特性は、ブランド好きと同じ要因から生じている気がします。それは、商品選択に「規範がない」ということです。

フランスの裕福な家庭の大学生に話を聞くと、バッグでも若い人のブランド、年配の人のブランドとはっきりしていると言うんですね。ヴィトンのバッグは若い人は買わない。それに対して、日本の場合は、大学生や高校生までがヴィトンのバッグを持っていたりする。

明治維新の時に「和魂洋才」、和の心を忘れずに西洋の知識を取り入れるということが言われましたが、実は平安時代には菅原道真が「和魂漢才」ということを言っていました。当時の先進国だった中国から文化を積極的に取り入れようとした。そういう何でも取り入れようという伝統が日本には昔からあります。

八百万の神がいる国ですから、クリスマスもやれば、最近はハロウィンもやる、大晦日にはお寺に行き、年が明ければ神社に行く。料理も和洋中、エスニック、何でも食べる。いろんなものを取り込むのが日本の伝統で、評論家の加藤周一氏はこれを「日本文化の雑種性」と呼んでいます。

社会的規範に対する意識は、国によってそれほど違うものなのでしょうか。

これまで私が調査したことのあるアメリカ、フランス、中国では、明らかに社会の規範がしっかりとあります。

フランスの母親は、電車の中で子どもがうるさくしていたら、「公共の乗り物でうるさくしてはいけない」というしかり方をしますが、日本の母親は「あそこのおじさんが睨んでいるよ。だからおとなしくしなさい」というしかり方をします。ダメなものはダメ、悪いものは悪いと理屈抜きにしかるのがフランスです。

図1日米中高校生の規範意識

また、私のかかわった調査ではありませんが、日米中の高校生を対象に行った「親に反抗すること」をどう思うかという調査があるのですが、日本は8割が「本人の自由で反抗してよい」という答えです(図1)。逆に、中国とアメリカの8割は「反抗してはならない」という答えなんですね。アメリカも中国も社会的規範がしっかりしています。

それから、「生徒が先生を殴ることは良いか悪いか」という質問に、アメリカ人の8割近くが良くないことだと答えているのに対し、日本の場合は「事情を知りたい」という回答が一番多かった。先生を殴ったのには何か事情があるはずだと考えるのが日本人なんですね。

社会的規範がしっかりしていることが良いか悪いかは別の議論ですが、日本はその場の状況を判断し、可能性を考えている。そういう意味では日本は自由なんですね。

規範がないということは、なんでもOKだということです。一点豪華主義もヨーロッパの常識から見ればおかしいことかもしれませんが、日本の消費者には、そういうこだわりがない。それは何でも買う可能性があるということにもつながります。逆に言えば、いろいろな商品を提供しないと満足しない消費者ですから、企業にとっては非常にむずかしい消費者でもあるんですね。

商品選択の厳しさは美意識から

商品選択に規範がないのに、商品選択基準が厳しいというのは、どう考えればいいのでしょう。

商品選択には感情型購買行動と思考型購買行動があると言われていますが、日本の消費者の場合は購買プロセスの段階で行動が違っているからだと思います。

どういうことかというと、ブランド品や流行にすぐ飛びつくというのは、「購買意思決定以前」の話で、その時点では感情型購買行動をとるが、「購買意思決定時」になると素材や仕上げのよさなど思考型購買行動が出てくるということだと思うのです。商品選択基準の厳しさが発現するのは、購入を決める時だということですね。

商品をあれこれ選ぶ時と、実際に買う時では判断基準が違うということですか。

そうです。実際に買う時になると、小さな傷にもうるさいのが日本の消費者です。その要因は、「清浄」という日本の美的価値観にあると思うんですね。

「清浄」と反対の言葉が「穢れ」です。清いものはよくて、汚れたものはよくないという考え方が日本には昔からあります。新しいもの、生まれたばかりのもの、罪がないことも全部「清いもの」で、死んだもの、汚いものも、悪いことも全部「穢れたもの」という意識が、日本人にはあります。

哲学者の梅原猛氏は『固有神道覚え書き』という著作の中で、ヨーロッパの価値は真善美であり、その最高価値が聖だが、日本はそれらを「清浄」という美的価値観が包含していると言っています。日本人にとっては、真実や善であることよりも清浄であることのほうが大事なんですね。

「穢れ」は平安末期の律令制度の法令集『延喜式』に出てきますが、罪の概念と密接に結びついています。「水に流す」という言葉がありますが、悪いことをしても、それを水に流せばきれいになれるという考えは、そこから出てきているんですね。

この「清浄」を尊ぶという美的価値観が商品選択にも現れて、商品がちょっとでも汚れていたらダメ、服のステッチがちょっとずれていたらクレームをつけるという商品選択に厳しい消費者を生んでいるのだと思います。

シンガポールでブルドーザーを売っている日本企業の話ですが、納入した新しいブルドーザーに傷があるとクレームをつけてくるのは、必ず日本企業だと言うんですね。現地の企業は多少傷があっても文句を言わない。自分の車ならまだ理解できますが、そういうところにも「清浄」を尊ぶ日本人の意識が出てくるんですね。

日本の食品スーパーの関係者が、ある外資系GMSが日本に進出する前に「日本でやっていくのは厳しい」と予想していましたが、その理由は鮮度管理だったんです。日本のスーパーでは生鮮食品の鮮度が落ちてきそうになったらタイムサービスで全部売り切るなど、徹底した鮮度管理をやっています。そのGMSは、そこまでやっていないということから、日本での失敗を予想していたんですね。

また、日本の消費者が新製品好きなのも、新しいものには穢れがないという意識から出てきています。丸の内ブランドフォーラムを主宰している片平秀貴氏が東京大学の教授だった頃ですから、10年くらい前になると思いますが、イギリスの学者とある新車についての共同研究を行っています。日本は「デザインがいい」「新鮮さを感じる」などプラスの評価が高かったのですが、イギリスでは何度やっても、新車のポジティブな評価が出てこない。それで深く調べていったら、新車に対してイギリス人は「経験不足」「青二才」というイメージがあって、かえって新車は評価されないことがわかったのです。

日本の車は4年に1度フルモデルチェンジして、2年に1度マイナーチェンジすると言われていますが、アメリカではフルモデルチェンジは6年に1度、ヨーロッパは8年に1度程度です。そういうところにも、日本の消費者の新製品好きという傾向が出ていると思います。日本の消費者を満足させるには、絶えず新しい製品を出し続ける必要があるということなんです。

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