
法政大学経営大学院教授/日本マーケティング協会理事長 嶋口充輝氏
1967年慶應義塾大学経済学部を卒業し、フルブライト奨学生として渡米。75年慶應義塾大学、ミシガン州立大学の修士・博士課程修了後、経営学博士(Ph.D.)。78年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授、87年同教授、2007年同名誉教授。同年法政大学経営大学院教授に就任。現在、日本マーケティング協会理事長。この間、ルーベン大学(ベルギー)、ウエスタン・オンタリオ大学(カナダ)、モスクワ大学(ロシア)の各大学院客員教授を歴任。The Distinguished Alumni Award of Michigan State University 受賞(04年)。
世界的金融不況に見舞われている。厳しい経営環境の中で、企業は21世紀を生き抜くための変革が求められている。日本のマーケティング研究の第一人者、嶋口充輝教授は、マーケティングの本質はオプティミズム(楽観主義)だと言う。経営機能の中で唯一成長を司る機能がマーケティングだからだ。見えない顧客ニーズをつかみ、マーケティングを組織の力とするには、どうすべきか、その道筋を聞いた。
確かに非常に厳しい状況ですが、マーケティングは元々非常にオプティミスティック(楽観的)で、どんなに経営環境が厳しくても必ずチャンスがあると考えるものなのです。なぜかというと、マーケティングだけが経営機能の中で唯一成長を司るからです。労務は人員削減を考えなければならない時もあるし、財務は資金繰りに悩む時もある。しかし、マーケティングは成長志向が基本です。
1958年にハーバード大学のセオドア・レビットが、「ブルースカイ・アプローチ」ということを提唱しました。どんなに雨雲がたれ込めていても、それを突き抜けて雲の上に出れば無限の青空が広がっている。雨雲の下だけを見て「経営努力の限界だ」「景気が上向かない」と言っているのは、考える頭がないだけだということなんですね。
そういうことを実務に携わっている方に言うと、「そう言われてもねぇ」という反応が多い。でも、こういう厳しいときだからこそ、次を見た方がいいと思うんですね。
この10年、中国の台頭などもあり、日本はこっぴどくやられてきた。日本の経済発展が世界に恐れられた80年代後半に、「ジャパンバッシング(日本たたき)」が起きましたが、90年代に日本経済が停滞した時には「ジャパンパッシング(日本素通り)」と言われ、ついには「ジャパンナッシング (日本無視)」「ジャパンヴァニシング(日本沈没)」「ジャパンミッシング(日本消滅)」と、本当に滅茶苦茶な言い方をされてきました。
今も、アメリカに端を発したサブプライム問題から世界的に不況になっていますが、考えようによっては、これは事業再生の非常にいい環境をもらったようなものだと思うのです。過去を振り返れば、日本の産業は、ジャパンバッシングのような外圧だけでなく、敗戦や石油ショックなどの厳しい時に力を発揮して、次の成長を作ってきました。今回の不況も新しい成長の機会だととらえるのが、マーケティング的な思考なんです。
20世紀初頭にマーケティングはアメリカで生まれていますが、「成長の仕組みをどう作るか」という本質は変わらないですね。ただ、その役割は、時代によって変わっています。初期のマーケティングは極めて現場に近いところから始まっていて、今のように企業全体をどう成長させるかという視点はなかったのです。企業が小さいうちは、それでもよかったんですね。
日本にマーケティングの考えが入ってきたのは経団連が1955年にアメリカに調査団を派遣してからですが、マーケティングの考えというのは、時代の流れに翻弄されやすいところがあります。
メーカーが製品計画をマーケティングと言っていた時代もあったし、流通がマーチャンダイジングをそう呼んでいた時代もありました。広告を打てばモノが売れたころは、広告がマーケティングと言われていました。成長の仕組みを考えるには科学的視点が大事だということで、マーケティングはリサーチだと言われた時代もあったんですね。マーケティングが、それぞれの代名詞に使われていたんです。
一方で、高度経済成長で企業も規模が大きくなり、たくさんの製品を持つようになった。その全体を管理しなければいけないだろうという考え方が出てきます。
そこで出てきたのが、「マーケティングマネジメント」という考え方です。プロダクトマネジャー、マーケティングマネジャーと呼ばれるミドルマネジメントの立場からマーケティングを見直そうという考え方が出てきたんです。
この中心になったのが、1961年にジェローム・マッカーシーが提唱した4P理論です。製品計画、価格、流通、販売促進と、今までバラバラだったものを統合していく動きが出てきた。どういう製品を作るか、いくらにするか、流通(チャネル)はどうするか、販売促進はどう展開するか、つまり4つのP(プロダクト、プライス、プレース、プロモーション)で成長の仕組みを考えるようになったんです。高度経済成長期というのはマーケティングマネジメントの全盛期だったのです。
その後、この考え方を充実させていった代表がフィリップ・コトラーです。すなわち、「消費者行動を観察しながら、4Pの1つ1つを精緻化して実行し、最終的には全体をコントロールするのがマーケティングだ」という考え方です。これが最近までマーケティングの本流のように考えられてきました。だから、マーケティングはミドルマネジメントの管理技術という位置づけが一般的になってしまったんですね。
それを否定するわけではないのですが、そろそろマーケティングをより上位の概念、経営と一体化した機能という位置づけに戻さないといけない時期にきているというのが、私の考えです。そうでなければ、真の顧客志向は決して企業に根付かないと思うんですね。

近代的なマーケティングというのは1950年代に始まるのですが、それは経営学から出てきたものです。そのころは、マーケティングは経営の一部だったんです。
その代表がピーター・ドラッカーで、彼は『現代の経営』(1954年)で「事業の二大機能はマーケティングとイノベーションである」と言って、マーケティングを事業の中核的な機能と明確に位置づけています。
ドラッカーのすばらしいところは、理論経営学ではなく実践経営であるという点です。実践経営というのは、実務の人たちに理解してもらえるだけでなく、共感を得られなければいけない。
ドラッカーは、事業の基本命題は永続性であり、今を起点に一瞬の休みもなく営み続けなければならないと言っています。これを唯一保証してくれるのが収入で、収入から支出を引いたものが利潤です。この収入を作る役割「収入創出機能」がマーケティングだと言っています。だから、事業は収入を作ることが一番重要だと言ったんですね。
ところが収入というのは経済学や会計学の抽象概念ですから、実務家にはわかりにくい。それでドラッカーは、お客さんを作りなさいと言ったんです。つまり「顧客の創造」が事業にとって一番重要だと50年前に言ったんですね。ドラッカーは、哲学的な洞察で事業のメカニズムを明らかにすると同時に、それをうまく実務家にコミュニケートしていったんです。