
法政大学 ビジネススクール イノベーション・マネジメント研究科教授小川孔輔氏
1951年秋田県生まれ。74年東京大学経済学部卒業、 76年同大学院経済学研究科修士課程修了。カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、86年法政大学経営学部教授、04年法政大学ビジネススクール イノベーション・マネジメント研究科教授。日本フローラルマーケティング協会会長。近著に、『マネジメント・テキスト マーケティング入門』(日本経済新聞出版社)、『有機農産物の流通とマーケティング』(農山漁村文化協会)など。08年9月から今年8月まで『チェーンストアエイジ』誌に流通業の企業史を描いた「小川町経営風土記」を連載。
ここ数年、ショッピングセンターの大型化が進んだ。その一方で、食品スーパーやドラッグストアが中核となった日本型NSC(ネイバーフッドショッピングセンター)や駅構内の商業施設「駅ナカ」も注目されている。日本のショッピングセンターとは何か。そこに欠けているものは何か。新しい需要を喚起するイノベーションの方向も含め、流通業の企業史にも詳しい法政大学ビジネススクール教授の小川孔輔氏に聞いた。

ほぼ同じページ数のコトラーの『マーケティング原理』のページ単価は9.2円、僕の本は4.9円ですから、僕の本のほうがコストパフォーマンスはいいんですよ(笑)
この本のキャッチコピーは、「日本人の、日本人による、日本人のためのマーケティング」です。今まで本格的なマーケティングのテキストは、翻訳書しかなかった。僕はマーケティングの素材は、基本的にドメスティックであり、ローカルであるべきだと思っています。そうでないとリアリティーがないからです。それで、この本に登場する事例は、日本企業か、外資系であっても日本に進出している企業に限っています。
事例を日本に関連したものに限定したもう1つの理由は、日本企業の実践してきたマーケティングを、理論的な枠組みの中で整理して語り継ぐという伝統が、これまでの日本のマーケティング研究にはなかったこともあります。もちろん、僕自身の反省も含めてですが、それを正当に評価して記録に残しておく責務が我々研究者にはある。そうでないと、我々はアメリカで生まれたマーケティングの枠組みを今後も超えることができないと思うからです。
今回のテーマのショッピングセンターも同じで、元々は、アメリカの買い物環境から生まれてきた商業施設の形態です。しかし、日本とアメリカでは、かなり違う成り立ちをしているんですね。
日本、ヨーロッパ、アメリカの3地域を比較すると、買い物環境という点では日本とヨーロッパとはきわめて近い。アメリカだけが違います。
アメリカは、東から西へ国土を広げていった国です。わずか200年という短い期間に、産業革命とフロンティアの開拓が同時に起こった国ですから、実は、自然発生的にできた街ではなく、かなり人工的な街なのです。日本やヨーロッパの街のように、長い歴史をかけて作られてきた街ではない。しかも、人口は日本の2.4倍ですが、国土は25倍ですから、面積当たりの人間の数が少ない。人がまばらなんです。
また、日本の場合、江戸時代までは、城があり、城下街があり、その外に農地が広がっていました。ヨーロッパも街自体が城壁に囲まれていたという違いはありますが、基本的には同じです。農工商が小さい地域の中で閉じている自給自足の世界で、それぞれの地域に農工商が根付いていた。そういう日本やヨーロッパに比べ、アメリカは歴史が浅いこともありローカルが未成熟だったのです。
20世紀に入ってアメリカでは、ミシガン湖などの五大湖を中心に大量生産が始まります。つまり、ローカルが成熟する前に全国マーケットが作られることになったのです。これがアメリカの街と日本やヨーロッパの街の大きな違いです。アメリカはモノを作ることと、それを消費することとが、かなり早い段階から切り離されていたのです。
農業も同じで、例えばイリノイ州の畑で作っているコーンは、イリノイの人が食べるために作っているわけではなくて、最初から全米マーケットを相手にしていました。アメリカの農業は今、世界をマーケットにしていますが、その当時から農業は産業だったのです。
19世紀末に始まったシアーズの通信販売もアメリカ全土をマーケットにしたものです。ショッピングセンターで売られているものも、その地域で作られたものではなくて、全米各地で作られたもの、世界中で作られたものだったのです。
それに対して、日本のショッピングセンターの原型は商店街です。商店街は、各地域で自然発生的にできたものですから、当然、地域によって売るものが違っています。
それから、日本とアメリカでは交通が違います。アメリカは、基本的には自動車を前提にショッピングセンターが作られてきました。人がまばらに住んでいる場所で、一番効率がいい移動手段は、車です。だから、車で買い物するのに便利な人工的な“商店街”を作った。それがアメリカのショッピングセンターです。
だから、今もアメリカで最も多いのは、商圏人口2万人から5万人のNSCと呼ばれるネイバーフッド・ショッピングセンターです。食品スーパーを核にしてドラッグストアやホームセンター、専門店などのテナントがあり、近隣の住宅街などの小商圏をターゲットにしているものです。
一方日本は、城下町や宿場町だったところにバスが通り、鉄道の駅ができ、今度は大量交通機関の結節点を中心に街が発達していきます。
当然、利用交通機関が違えば、買い物頻度も違います。アメリカは、週1回か、2週間に1回。日本は、1日に2、3回と言われるほど頻度が高い。つまり、日米ではショッピングセンターの性質も人々の消費行動も異なるのです。
日本の商店街の衰退は、1970年ごろから起こったものです。その原因の1つは、それまでバスや鉄道など大量交通機関で買い物をしていた人たちが、車という移動手段を持ったことです。1964年の東京オリンピックで高速道路の建設や道路の舗装が進み、その直後から自動車の大衆化が始まります。しかし、昔ながらの商店街には駐車場がない。買い物に不便になってきたんですね。
もう1つは、日本が豊かになったことです。車も買った、住宅も買った。今度は、その住まいに詰め込むモノが必要になったわけです。
消費者は、衣食住すべてに対して豊かさを求めるようになりました。しかし、商店街はそれぞれが独立経営ですから、店舗も広げられないし、店同士で品揃えの調整もできない。郊外に行かなければ、十分な売場面積の店舗が作れないし、駐車場も確保できない。それが日本の郊外に大型店舗ができていった要因です。日本の場合は、アメリカと違って最初からショッピングセンターがワンセットでできたわけではなく、最初は食品スーパーやホームセンターが単独で出店することが多かったのです。
1973年に「大規模小売店舗法(大店法)』が制定されますが、これは大規模店の店舗拡大を事実上許可制の下に置きながら、地元商店街を保護することが目的でした。そういう規制の中で、日本の小売業は郊外に立地創造していきます。GMS、食品スーパー、ホームセンター、それからドラッグストアや衣料品チェーンも郊外に出ていきます。しかし、よくよく見ると、このころ郊外に出店したのは、単独店プラスαが多くて、ショッピングセンターと呼べるものは、それほど多くなかったのです。

玉川髙島屋SCができたのは1969年です。アメリカのショッピングセンターをお手本にして、二子玉川周辺に住んでいる富裕層をターゲットに作られたものです。もちろん、自動車の利用客も想定していましたが、同時に二子玉川駅前にあって、当初から鉄道の利用客も見込んでいたところがあります。その後できた大型ショッピングセンターも、しばらくは日本特有の駅ビルが中心で、その原型が玉川髙島屋SCだったのです。
各地で駅前再開発が一段落した80年代には、郊外や農村部の幹線道路沿いの田畑を埋め立てて広い敷地を確保して大型ショッピングセンターが作られていきます。
さらに、2000年に大店法が廃止され、「大規模小売店舗立地法(大店立地法)」が制定されてから、大型ショッピングセンターは急増します。2007年の「改正都市計画法」施行で、店舗面積1万m²を超える郊外型施設について建設の抑制がかけられるまでブームは続きました。
ただ、日本のショッピングセンターの多くは郊外型と言われるものでも駅に隣接したものが多く、車だけの利用客を対象にしたアメリカのショッピングセンターとは基盤が違うんですね。
アメリカはショッピングセンターが全小売販売額の3分の2を占めていますが、日本のショッピングセンターのシェアはいまだに2割程度です。それは、日米の街の成り立ちの違い、ショッピングセンターの成り立ちの違いからきているものなんです。